少し堅苦しい話になるが、物事を理解するためには本質の抽出、抽象化という手法から逃れられるものではない

物理の授業で等速直線運動というものがあったのを覚えているだろうか

横軸に時間、縦軸に移動距離をとってグラフに表すと、傾きが一定の直線になる
また、横軸に時間、縦軸に速度をとったグラフでは、時間軸に平行で速度が一定の直線になる
つまり、速さも向きも変化しない運動の事をいう

だが、おわかりのようにこのような状況は現実世界において存在しえない
空気抵抗や地面の摩擦が発生するために等速での移動はできず、必ず減速していくのだから

その時に省かれるのはそのような「抵抗」だ
抵抗を省くことで一度加えられたエネルギーが保存された等速直線運動が物理法則という概念世界に実現される

さらに、このような物理現象を抽出するにあたって重要なファクターが「観測者」の目線である

観測者の目は、多方面からの目が存在するとまた観測情報のブレが発生して抽象化の妨げになるため、一つで、かつ定点による観察ということが必須となる

これが現実世界では発生する"ノイズ"を除去する本質の抽出であり、物理現象の抽象化なのである
これらのことにより、この抽象化された物理法則は一貫性を持っているといえるのだ

逆に、現実世界という複雑系を抽象化せずにありのまま見る、混沌とした数多くの変数をもつ不確定な事象を同時並列的に理解しようとするというのは不可能と言っていいだろう

危険だが、現実世界という複雑系を抽象化せずにありのまま見るというのを実験する方法がある
鏡で自分自身の顔をパーツごとに分析したりせずにじぃーっと見つめ続けてみるのだ
はじめは自分の顔という認識を保てるだろうが、時間が経つにつれ目・鼻・口などの言語的意味が崩壊し恐ろしいナニかに見えてくるだろう
これをゲシュタルト崩壊という
危険なので決して試さないでいただきたい
色々なパーツで構成される顔というものを個別に分別せずに複雑なまま認識することはできないのである

さて、堅苦しい話は以上として、一貫性を担保するのに必要なファクターを簡単にまとめると以下の3点となる

  • 観測対象を絞ること
  • 観測点が一点であること
  • 移動しない定点による観測であること

一般的にドライビングテクニックを論ずる際に用いられる荷重移動論も一見科学的な手法ではある

タイヤに掛かる荷重の変遷を観察することでタイヤの性能を使うという説明はそのとおりである(摩擦円絵図)

著者も今の考えに至る前は一般でいわれる荷重移動論でのドラテク解析をしていた
しかしタイヤは4つあり、荷重が移動すると運転者という観察者の目が追う観察対象が移動してしまう(荷重が動くと同時に観察眼が動く絵図)

当時はコーナーごとに注視するタイヤを1本に決めて状態変化を観察したりしていた(例絵図)
コーナーの曲率や速度ごとにその変動状態がかわるため、全てのコーナーにおけるタイヤの状態変化情報を収集する必要があった
コーナーごとにどのタイヤを注視するのが良いのだろうか・・・
これはかかる時間的労的コストが非常に高い

荷重移動や荷重によるタイヤの摩擦力など自動車に起きた現象を分析するにあたっては妥当性の高い方法であろう
しかしこの観察者の目は運転席からでは無い
目線でいえば例えばタイヤの接地面である
観測点でいえば4本それぞれ4点あるのである

そしてそれぞれは一本一本バラバラに分析されているため、それらを統合して自動車1台として観察するにはもう1点の目が必要になるのである
一つ一つは科学的な手法で分析はなされているが、先述の一貫性を保つファクター3点則から外れ、結果的に複雑系なまま処理を行おうとしているのである

4本のタイヤの状態を同時並列的に把握するなど不可能なのである

ここでハタと気づく

観察の仕方、観察する場所が根本的に誤っているのだ!と
少なくとも運転者目線においては

一方、運転中の自動車に起こる現象への観察者は運転手であり、運転手は運転席にいる
これなら観測者の目は一つであり、定点である

そして、起こる現象の全ての情報が相関的/因果関係的に正確に集まってくる場所がある

それが重心である

一貫性を保つのに、この重心に起こる状態と車両の挙動との相関/因果関係の観察をするのが物理的でもあり認知能力に沿うものでもあり科学的で最も適した手法なのである

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